まさか、学級崩壊!?生徒実態が厳しいときどうすればいい?

アイキャッチ画像 授業デザイン

どうしようもないほど、生徒実態が厳しい学校に勤務した経験はありますか?

私はあります。ここに書けないほどの厳しい実態でした。

昔はやったテレビドラマ「ごくせん」のような感じです。・・・まあそこまでドラマ風ではないですが。

私の場合、「学校」という分類の中では少数派の定時制高校でした。

憤り、あきらめ、努力、辛抱、そんな言葉では言い尽くすことの出来ない、貴重な体験です。

今回は、そのごく一部をご紹介し、「先生」として見てもらえなかった私が、どうやって生徒との関係を作っていったのか、お知らせします。

新任者紹介での衝撃

教員になって三年目の春、私は定時制高校に赴任しました。

それまで中学・高校と進学校に通い、大学を卒業して、そこそこの学歴を積んだ私は、初任校で商業高校に勤務していました。

その商業高校はかなり厳しい底辺校で、授業の成立自体が困難な状況でした。試行錯誤の二年間でした。

やっと慣れたころに結婚の関係で異動となりましたが、定時制ということで心引き締まる思いはしました。

しかし、今まで二年間底辺校でやってきたんだから、という自負もありました。

しかし、初めて定時制の生徒を見た時、その自負はどこかへ吹っ飛んでしまいました。

それは始業式の新任者紹介の時でした。

何人もの金髪の生徒、金髪どころか虹色の髪の毛の生徒、たばこを吹かす生徒、眉毛を抜いている生徒、靴の踵を踏み、ズボンをずらして、横柄な態度でふんぞり返っている生徒、その陰でおびえるように萎縮している生徒、派手な化粧で挑戦的な目で見つめる女子生徒・・・・・・。

そのあまりの状態に私は絶句してしまいました。

商業高校以上に荒れている、いわゆる「ヤンキー」たちと、ちゃんとやっていけるんだろうか、授業なんてできるんだろうか……。 果てしない不安が私を襲っていました。

アイデンティティーが崩れ去る

それから辛い日々が始まりました。

一時間目、働きながら学校に通う彼らはなかなか五時半の始業時間に学校にたどり着けません。

ぽつり、ぽつりと教室に入ってくる生徒に、大学で学んだような指導案なんて全く通用しません

授業を聞くように注意しても、先生の評価を全く気にしない生徒たちは耳も貸しません。

また、ここでは非常に書きにくいですが、法律に触れるような、生命の危険すら伴う出来事も多々ありました。

まさしく授業が授業でない、そういう状態に私自身がまずパニックになりました。

私は、当時教員は授業が本領だという意識を高く持っており、また教員になったのも、やはり授業をしっかりやっていき、力量をつけていきたいという思いからでした。

授業が成立しない、もしくは成立以前の状態であるということは、自分の教員としてのアイデンティティーの問題でした。

自分の根幹が揺らいだのです。

生徒は先生らしく注意する私をからかうような目で見つめ、バカにします。

先生らしく真面目に応対し、権威を振りかざす私をばっさばっさと切り捨てていきます。

女子生徒などは、「私あの先生、嫌い。前の先生が良かった。」と心ない一言を聞こえるように言ってきます。

男子生徒は、「注意する時の声が良い感じじゃ」とか「泣きそうになっとる」とかの言葉で 私をからかいに来ます。

ここで「先生」 という肩書きのついた 私は全く通用しません。

相手は今まで学校というシステムの中ではじき出され、「先生 」というものによって、常に低い評価をされてきた生徒たちばかりです。

私は「先生」 という立場を脱ぎ捨てて その後に残る「私」を出して勝負することを要求されました。

しかし、先生を脱ぎ捨てた 「私」に何が残るというのでしょうか。

対話と時間の共有

話し合う生徒のイラスト画像

そんな迷いと不安の中、「先生なんかやめてやる」と何度も思い、 それでも毎日毎日生徒と過ごし、 時間を共有していきました。

次第に何かが見えてきました。先生という仮面を生徒に剥がされた私は 、そこにまた新しい自分の個性を作り始めていたのです。

真面目な受け答えしかできなかった私ですが、 定時制の生徒は冗談がうまいです。

様々な困難な状況や劣等感を独特のユーモアで切り抜けてきた彼らに影響され、 私の冗談も格段にレベルが上がりました。

すると彼らは「話の通じるやつ」という認識で面白がって話をしてくれます

そして笑い合ううちに気持ちが通じていきます。

またおとなしい生徒や何に対しても否定的な生徒には、とにかく挨拶や 声掛け、 授業が成立しない分雑談をするようになりました。

だんだんと向こうから話しかけてくれ、言葉を発しないまでも、反応するようになります。

ある時は 突然人生相談になったりもしました。

つまり、 彼らと時間を共有することを通して、私自身が先生としてでなく、生徒をそのまま受け入れていき、 先生の仮面が剥がれ落ち、 一人の個性ある人間として作られていき、そこで初めて生徒と 心から通じ合ったのです。

全日制の生徒たちとは全然違う 圧倒的な個性の背後には彼らの厳しい 生育歴があるのでしょう。

そういう彼らに私は鍛えられました。自分のものの見方、考え方がより深くなっていったのです。

※「月刊国語教育」東京法令出版 2005年1月号 「礼子式部日記」~先生を脱ぎ捨てた礼子 定時制での経験~より抜粋

「先生」じゃなく「人間」としての勝負


結論としては

「先生」という権威を脱ぎ捨てて、生身の人間として生徒と向き合い、生徒と時間をかけて対話していく。

ということになります。便利な解決方法ではないのですが、時間をかけるしかありません。

今振り返ってみると、相当厳しい生徒実態の学校であったようです。

あのときは生徒急増期で、一クラスの人数が50人とかいましたしね・・・。今もう一回勤務しようとすると、体力が持たないかもしれないですね(笑。

「先生」となる人は、ある程度落ち着いた学校で過ごしてきたので、多様な実態の生徒を知らないまま、先生になります。

教育実習も母校か、大学の附属かでやっていると思うので、いざ、現実の教育現場になると、そのギャップに参ってしまうでしょう。私のように。

そういう所も経験して「先生」になった方が良いと思いますが、そうなると、きっと先生になろうとする人がいなくなるだろうと思います。

そういう厳しい実態の学校には、ぜひとも人的配置、物的配置を手厚くして、彼らが奪われてきたものを教育によって取り戻すようにしてもらいたいですね。

おわりに

男女4人の生徒のイラスト画像

ここまで書きましたが、学級崩壊は誰にも起きると思います。

これだけ複雑化し、問題も多様になってきた社会なので、何が原因なのかもわからないほど、解決が見えにくい状況になっているのです。

一人の教員の努力ではどうにもならないと思います。

もはや学級崩壊は社会的現象であると思います。

先生一人の責任で済む状態ではないと思っています。

ただ、今回はそれでも自分自身を鍛えようという意味で書きました。

個人の力では限界があるため、周囲の人と情報共有しながら、組織的に当たらないといけないとは思っています。

そのあたりのことはこちらの記事にも書きましたので、ぜひ読んでください。

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