国語教育界のレジェンド 大村はま先生の「単元学習」

アイキャチ画像 授業デザイン

国語教育に関わる人なら誰もが知っている大村はま先生

私ごときがしったかぶりで紹介するのは非常に心苦しいのですが、大村はま先生の単元学習を入門的に紹介したいと思います。

大村はま先生の略歴

勉強する女性のイラスト

大村はま先生は、国語の先生です。

生まれは、1906年(明治39年)6月2日 で、お亡くなりになったのは、 2005年(平成17年)4月17日。98歳でした。

生涯、一国語教師として、言葉の教育を通して子どもたちを育てることに身を尽くされました。

ここで歴任校をWikipediaより引用します。

1928年~1937年 長野県立諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)
1938年~1947年 東京府立第八高等女学校(現東京都立八潮高等学校)
1947年~1948年 東京都江東区立深川第一中学校
1949年~1951年 東京都目黒区立第八中学校
1951年~1956年 東京都中央区立紅葉川中学校
1956年~1960年 東京都中央区立文海中学校
1960年~1980年 東京都大田区立石川台中学校
1972年より「国語教育実践研究発表会」を開催
1980年3月31日にひっそりと退職。
定年退職後「大村はま 国語教室の会」を結成し、日本の国語教育の向上に勤めた。
2005年の大村の死後「大村はま 国語教室の会」を引き継ぐ形で「大村はま記念国語教育の会」が結成され、国語研究の功績が顕彰されるとともに、その実践への学びが続けられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E3%81%AF%E3%81%BE

「単元学習」はどうやって生まれたか

女の先生イラスト画像

私が印象的なのは、非常に緻密な「単元学習」の実践です。

ただ、大村はま先生は「取り組んだ結果、そういう形になっていった」とおっしゃっていて、最初から「単元学習」を実践したとはおっしゃっていません。

そして、私はなにはともあれ、本当の国語力を人間を人間にする言葉の力をつけよう、つけたつもりでなく、本当につけようと思って、単元学習であるかないか考えることも忘れて、一つ一つの学習に取り組んでいるうちに、実際にははっきりとした経験単元(生活単元)に向かっていた。

「大村はま国語教室1」より

大村はま先生の実践のスタートは、戦後まもなく、まだまだ人々の心が傷つき、生活に困窮した世の中で、子どもたちもすさんでいた中学校だったそうです。

学びに向き合わない子どもたちを、必死になって学ぶことに目覚めさせようと試行錯誤しておられたようです。それこそ、席に着かない子どもを座らせようと腕を捕まえたりして・・・・です。

あるとき、子どもたちに新聞のマンガを教材にして授業を展開したところ、食い入るようにして取り組み始めたということをきっかけに、子どもたちが夢中になって取り組む教材をどんどん開発していくようになったそうです。

(前略)昭和23年の暮れ、新制中学校の出発から1年半の頃、そのころの中学校の教室は、まだまだ荒れていた。席に着けておくだけでも容易でない仕事であった。こわれかかった机の上を渡り歩く子どもたちに声をかけながら、あばれない子どもたちに何かを学ばせているという状態になることも多かった、飛んでくる足下から、素早く本やノートを逃れさせるなどということも珍しくなかった。それが静まったのである。(後略)

「大村はま国語教室1」より

・・・こうしてみると、私もそうでした・・・・。教育困難校で、なかなか授業に取り組まない生徒を相手に、自分でマンガを描いて、ワークシートに入れ込んで授業をしたんです・・・。

ああ、出発点が似ていることに今、気がつきました・・・。

「単元学習」とはどんなもの?

教え合う生徒と先生の画像

大村はま先生の単元学習は、別名「生活単元」とも言われています。

単元学習はなぜ生活から出発しなければならないかというと、子供たちが勉強していくのに生活に密着していないと、子供を引き付けることができません。生活の実態生活の中から取材した、そういう単元学習の展開の中で学び得たものが、あまり手数を経ないでその人の実力になると思うのです。

「大村はま国語教室1」より

ざっくり説明すると、こうなります。

・「教科書教材」があるからそれを教えるのではなく、導入からその学習が必然になるように、何らかの目的を持って学習するように工夫されている。

生活の中から学習課題を見出し、それを教室で解決を図る学習を展開する。

・課題解決を目指して、話す・聞く・読む・書くという言語能力を鍛えていく。

図式化するとこんなイメージです。

「単元学習」の具体例

女子生徒のイラスト画像

ここでは、単元「読書のしかた」を具体例として簡単に紹介します。

対象は中学校1年生で、実践時期は昭和36年、第1学期、東京都大田区立石川台中学校勤務時代のことでした。

教科書教材「読書の経験」(清水幾太郎)を一資料として活用しながらの展開です。

導入が神がかっている!

女性の先生のイラスト

大村はま先生は導入を非常に重視されます。

学習者がその教科書教材を読むための必然性を生み出すため、です。

例えばこの単元は、まず、学習者一人ひとりが日常の読書生活の中で、どのような読書に関する疑問を感じているか、疑問を提出させています。

その疑問の解決を目指していく、という目標を掲げて、学習者の主体性を喚起しています。

緻密な学習展開と神がかった学習の手引き!

女性の先生のイラスト

大村はま先生の実践例を読むと、首より深く頭をうなだれるのですが、その最大の理由が、緻密な学習展開学習の手引きのすばらしさです。

疑問点を持ちにくい子どもたちのために、「読書に関する疑問例」を示した手引きプリントを作成して渡している!!

大村はま先生のコメント:そうでないとありきたりのことしか考えつかず、本当の自分の疑問を発見できず、あまりいい質問が出ないで、あとの学習に熱が入りません。

学習者一人ひとりの提出した疑問を整理した「読書についての質問集」(プリント)を読ませている!!

さらに、学習指導過程が緻密に計算され、その場にふさわしい投げ入れ教材で編成されています。

学習者一人ひとりの疑問の解決を図るために、教科書教材「読書のしかた」だけでなく、読書のしかたについて書かれた文章を読んだり、読書について語った話や録音を聞いたりして、取材できるようになっている。

「テープレコーダーに事前に録音しておいて、テープを聞かせながら、いっしょに、黒板上にメモをとってみせる」という指導を行っている。

さらに発表会に当たっては次のような手引きを作成しておられました。

5つの柱からなる丁寧な手引き
①自分の質問の紹介
②この問題を前に考えたことがあるかどうか
③いろいろな人の意見の紹介
④その共通点と相違点
⑤まとめ(これからの決意)

読む・聞く・話す・書くが有機的に関連

女性の先生のイラスト

大村はま先生の単元学習では、学習者が課題を解決していく流れの中で、読む・書く・話す・聞く言語活動が必然的に有機的に位置づけられています。

課題に取り組んでいく打ちに、自然に言語能力が鍛えられていくようになっているのです。

(某機関の、これは「書く指導」、これは「読む指導」というように分割して授業を構想しているのとは大きく違いますね。)

先ほどの図式化を再びお示しします。

単元学習のイメージ図

まとめ~授業を構想するとはどういうことなのか~

本のイラスト

ざっくりですが、私なりに捉えた単元学習の全体像を図式化してみました。

私が師事している世羅博昭先生の目標の二重構造化論を参考にしています。

目標の二重構造化論の図式化

本当に大まかな紹介しかできないのですが、授業を構想するとはどういうことか、これだけでもおわかりいただけると思います。

大村はま先生の、教育に対する情熱・信念に心震えます。戦後の厳しい時代を背景にしているとはいえ・・・心引き締まる思いがします。

そして「手引き」に脱帽。ものすごく細かいけれど、わかりやすい言葉で、本質を突いています。

私は大学時代に大村はま先生の実践を学び、それをまねしてやってきたのですが、教育現場に出てから、どうしても横持ちで授業展開すると、異端視されて、単元学習ができませんでした。

私の暗黒時代を返してほしい・・・のですが、最近、少し風向きが変わったように思います。

新学習指導要領のおかげでしょうか。

ともあれ、準備に相当な時間がかかります。働き方改革のことも考えて、これからも大村はま先生の実践に学び、よりよい方向を模索します。

大村はま先生に関する入門的な文献はこちらをどうぞ!

「新編 教えるということ」      ちくま学芸文庫

「新編教室を生き生きと 1」 ちくま学芸文庫

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